小中高と一貫して勉強をせずに過ごしてきました。…と言うと、先輩像、あるいはロールモデルとしてふさわしくないかもしれません(笑)。これまでを思い返すと、いつも自分がやりたいことにだけ全エネルギーを注ぎ込むタイプの人間だったように思います。家で予習や復習をするでもなく、ましてや学習塾に通うでもなく、毎日ゲームやパソコンで遊ぶことに夢中になっていました。そうはいっても、積極的な「学び」と無縁だったわけではなく、小学校低学年の頃は、母と一緒に計算ドリルの早解き競争を楽しんだりもしました。親が与えてくれた算数・数学図鑑は擦り切れるまで読んだほどです。また、中高生の頃には家にあったパソコンでHTMLを独学し、個人のウェブサイトを制作しました。理系・情報系の素地は、両親がそれとなく与えてくれた環境の中で育まれたように思います。
高校卒業後の進路として、医学部を目指していましたが願いかなわず、浪人の末、志望校を東北大学工学部に変更しました。本学部では希望する学科を複数選ぶのですが、私は情報系の学科一択で挑みました。これは自信の表れ、ではなく、医学部入学を全うできず、少し捨て鉢になっていたのですね。しかし、その後は博士課程まで進み、最先端の自然言語処理研究に取り組むことになるのですから、今となっては大学入試の挫折は人生を好転させる大きなターニングポイントだったと感じています。
大学1、2年で熱中したのがクラシックギター(サークル活動)でした。朝から晩まで、講義にもろくに出ずにギターを抱えて爪弾いていましたが、そのうち作曲にも興味を持ち、学び始めました。2年の冬の合奏では、編曲を担当するまでになりましたから、好奇心と情熱が、熟達を早めるという好例ではないでしょうか。この作曲の技術は、現在の仕事になくてはならない重要なものです。あちこち寄り道しましたが、すべては将来と地続きだったということに我ながら驚いています。
本学科では、学部3年後期に研究室に配属されます。現在、Tohoku NLP Groupはとても人気が高い研究室だと思います。しかし私が3年生の時には、乾研究室は設置が予定されていた未知のラボであり、本学における実績はまだありませんでした。研究室を検討する資料として渡された一覧には、情報伝達学とあり、驚いたことに教授欄には「未定」とありました。多くの学生は二の足を踏んだようです。私は、人間が情報を伝達する手段としての「言語」を、コンピュータで計算/表現するというテーマにとても興味を引かれ、この研究室に飛び込むことを決めました。乾研究室の栄えある1期生に名を連ねられたのは、ひとえに運が良かったから。もし私が浪人しなければ、あるいは研究室の発足が1年遅れていたら……今とは違う分野を標榜することになったかもしれません。
修士課程、博士課程を通じて取り組んだ研究テーマは「仮説推論」です。自然言語処理における仮説推論の枠組みは、Jerry R. Hobbsによって提唱されました。1990年代に一度注目を集めたものの、背景知識の構築コストなどから長らく表舞台から消えていた仮説推論ですが、ハードウェアの性能が向上し、知識獲得技術が成熟するに従い、再び注目されるようになりました。そのような状況にあって私は、修士では大規模な背景知識を用いた仮説推論の計算速度を向上させる手法の開発などに取り組みました。この時には既にこの仮説推論研究の魅力にすっかり虜になっており、博士課程に進学することには一縷の迷いもありませんでした。こうした経緯にも自分の性格が表れていると感じます。博士課程進学後も同じように仮説推論の研究を続け、より実用的な仮説推論エンジンを追い求めて、新たな推論アルゴリズムの開発などに取り組んでいきました。
博士課程修了後には、研究室での伝手(つて)から、NECの研究所で仮説推論の研究を続けることになりました。この10年余りの研究の成果として、一階述語論理に基づく仮説推論としては、極めて高機能なソフトウェアが実現できたと思っています。しかし同時に、このような単一のモデル・実装ではあらゆる実問題に対して実用的な時間で動くものを作ることは理論的に難しいことも分かりました。この解決のためには、単一の実装の改良だけでなく、その時々の用途に応じて実装を自動で使い分けるような新しい推論システムの開発——すなわち機械語に対するC言語の誕生にも似た、ある種のパラダイムシフトが必要だという結論に達しました。
既成概念を超えた仮説推論の地平へ——いよいよおもしろくなってきたという手応えを感じる一方で、「今こそやりたかったことに挑戦するべき」という思いが強くなっていました。その時まで副業として続けてきたゲームクリエーターの活動が軌道に乗ってきていたことも背中を押してくれました。
ゲーム好きが高じて制作する側に——ひと言でゲームを作るといっても企画立案、シナリオ制作、グラフィック制作、サウンドメイク、プログラミングなど多岐にわたるタスクがあります。それらをすべて一人で担うのが、私のスタイルです。このような個人や小規模チームで制作されるゲームは一般にインディーゲームと呼ばれ、昨今のゲーム市場において存在感を強めています。
もともとゲームを作り始めたのは、学科3年の授業でC言語を学んだのがきっかけです。そこから、余暇時間でゲームを自作し、フリーゲームとしてウェブ公開するという活動を、就職まで続けていました。就職・結婚を機に、有料でゲームを配信する活動形態にシフトしたところ、数年後には本業と大差ないレベルの収入源となりました。ゲーム業界も極めて人気の分野であり、ゲームを生業にしたいと思う人が多くいる一方で、それが叶う人はほんの一握りです。私がここまで成功できているのは非常に運が良いと思いますし、フリーゲームを制作していた時期にファンになってくれた人たちに今でも支えられていることを強く実感しています。まさに「継続は力なり」という言葉通りだと思います。
独立を決めた最大の要因は、作りたいゲームのアイデアがたくさん溜まっていたことです。ゲームシステムを考えるのが好きで、何かアイデアを思いついてはメモ帳に書くということをずっと続けています。このまま会社にいたらこれらのアイデアの1割も実現できない、ここで挑戦しなかったら絶対に後で後悔する……という強い思いが、クリエーターとして独り立ちする動機になったと思います。現在はPC向けのゲーム開発を主な領域としつつ、ゲーム専用機(Nintendo Switch、PlayStationなど)への進出も目指しています。今後2年以内にこのゴールを達成することを目標に、日々制作活動に邁進しています。
博士課程に進むと、将来は研究者になるしかないと考える方が多いかもしれませんが、選択が狭まるのではなく、逆に広がっていくというのが私の考えです。博士課程で修得したものをどこでどう生かすかは、自分次第です。問題に直面したら、本質を捉え、要素に分けて、原因を追究し、解決に必要な情報を収集し、実行計画を立てて、着々と遂行する——こうした技術と身構えは、研究以外の場面でも生かすことができます。業種を問わず企業人としても求められる能力ですし、人生をより良い方向に導いてくれる思考方法だと思います。
乾研究室(Tohoku NLP Group)には優秀な学生・研究者が集まっています。研究室に在籍していたころは周りの優秀さに圧倒されることばかりでしたが、死にもの狂いで駆け抜けてきました。その甲斐あってか、会社ではエキスパートとして一目置かれ、何かと頼りにしてもらったように思います。人生を切り開く翼を与えてくれた博士課程での得難い日々が、今の私を支えてくれています。
(2024年4月 インタビュー)
2011年3月 東北大学情報知能システム総合学科卒業、2013年3月 東北大学大学院情報科学研究科修士課程修了、2013年 MSRA(Microsoft Research Asia)にインターンとして5カ月勤務、2016年3月 東北大学大学院情報科学研究科博士課程修了。博⼠(情報科学)。2016年4月 日本電気株式会社入社、NEC中央研究所の研究員(自動推論研究グループ)として勤務、2019年 趣味のゲーム制作を副業に展開、2023年 NECを退社。現在、ゲームクリエーターとして活動中。2014年 ICOAI2014 Excellent Oral Presentation賞、言語処理学会第20回年次大会優秀賞および若手奨励賞、2013年 言語処理学会第19回年次大会優秀賞、2012年 NLP若手の会第7回シンポジウム奨励賞、第206回自然言語処理研究会学生奨励賞等を受賞。