DOCTORAL DEGREE HOLDERS INTERVIEW [MY DECISION] - ここが原点、ここから未来。

飛躍的に進歩する
自然言語処理を、
社会の中へ。
開発と実装の
フロントラインに立つ。

PKSHA Technology(パークシャ・テクノロジー)
シニアアルゴリズムリード
渡邉 陽太郎さん
2010年3月 博士後期課程修了
博士論文タイトル
Dependency-based Predicate-Argument Structure Analysis Using Structured Learning and Named Entity Information
(依存構造と固有表現情報を用いた構造学習による述語項構造解析)

コンピュータは人間と同等の思考能力を持ちうるのか
——問いに導かれて研究者の道へ。

私が小学生だった当時、パソコンを持っている家庭は一般的ではなかったように記憶しています。我が家では父が精密機器メーカーのエンジニアだった関係もあり、最新の電子機器や関連ガジェットに囲まれて育ちました。その中にあったNEC製のPC8801が、私がコンピュータに触れるきっかけとなりました。

中学に入ってからは「インターネット」が、興味・関心の列に加わります。ダイヤルアップ接続の独特の音に続いて画面上に展開される“世界”は、わくわくと心躍るものでした。コンテンツは今と比べれば非常に乏しいものでしたが、これからはできることがどんどん増えていく、という可能性を感じさせるには十分でした。

大学は、工学部情報工学科へ。本格的にプログラミング言語を学び、コードを組むことに夢中になりました。人工知能の存在を知ったのは学部3年生の時。現在は4th(日本語未訳)まで版を重ねているAI研究のバイブル『エージェントアプローチ人工知能』(Stuart Russell・Peter Norvig著、古川康一監訳、共立出版)を常に持ち歩き、時間を見つけては文字を追っていたものです。「コンピュータは人間と同等の知能・思考能力を持ちうるのか」という学術研究的な興味は尽きることがありませんでした。人間の知的/精神活動の基幹を成すのが言語です。機械学習の手法を用いて、言葉の解釈と理解を目指す自然言語処理(以下:NLP)の研究がしたいと考えるようになり、当該分野で高い知名度を誇っていた奈良先端科学技術大学院大学(以下NAIST)の松本研究室(松本裕治教授、現:理化学研究所、革新知能統合研究センター)の門を叩きました。

博士課程に進んで探究を重ね、世界の研究レースに参画したい——そうした志を抱いた瞬間のことはよく覚えています。修士課程1年の冬、初めての国際会議。私は聴講のみの参加でしたが、日本の研究者たちが登壇し、英語で堂々と発表する姿を見上げ、「私もいつの日か自分の研究成果を世界に問いたい」と強く思いました。それは願望や憧れというよりは、成し遂げるべき目標として掲げることになりました。

不安との闘いを、研究成果へと昇華させて。
初の論文が、トップカンファレンスに採択。

目標を定めたものの、現実をみれば博士前期課程での研究は少し苦戦をしていました。このまま博士課程に進んだとしても新規的かつ独創的な研究成果を出せるのか……心に揺らぎがあったことも確かです。しかし、研究テーマも決まっていましたし、不安という伴走者を追い抜くためには、自ら行動し、結果を積み重ねていくしかありません。新しいアルゴリズムを試し、実装し、検証し、パフォーマンスを向上させていく——一心不乱にがむしゃらに、そんな日々を送りました。

博士前期課程で取り組んだのは、Wikipediaを対象に人名、地名、組織名などの固有表現に関する知識を獲得する研究です。当時、何かを知りたいと思ったときにWikipediaを参照することは多かったように思います。ですが、Wikipediaそのものは人が読む前提で構築されており、計算機にとっては必ずしも読みやすいものではありませんでした。計算機が言語を理解するためには、計算機が扱える形で、固有表現の情報を活用できる状態にすることが求められていました。この問題に対して、当時最先端の機械学習技術であった条件付確率場という技術に強い関心があったため、技術を活用しつつ筋良く解く方法を模索することが博士前期課程のテーマとなりました。

自分の研究成果を世界に開いていくという目標のためには、英語力をさらに向上・洗練させる必要もありました。修士課程2年の折、カーネギーメロン大学Language Technology Institute(LTI)(米国ペンシルベニア州ピッツバーグ)でインターンを募集しているという情報を聞きつけ、手を挙げました。5週間という期間でしたが、ディスカッション、スモールトーク、大学事務局との交渉・手続きなど、当然ながら英語で行わなければならず、おのずと鍛えられたように思います。

試行錯誤の末、私の初めてのアカデミックペーパーとなる修士論文を書き上げました。そして大きなチャレンジでしたが、NLP分野のトップカンファレンスに投稿。幸運なことに採択され、国際会議で発表の場をいただきました。1年半前に抱いた目標はここに達成されました。これで研究者としての一歩を踏み出せた、と安堵しましたが、フィードバックのなかに「数字を追い求め、評価指標のスコアを上げるだけではなく、研究の背景やコンセプトをしっかり確立すべき」という指摘があり、研究に向き合う姿勢を修正しなければならないと気を引き締めました。

博士後期課程に入り、私が挑んだのは「述語項構造解析」です。これは述語と項(日本語では述語と格関係にある単語)との関係を同定する手法です。例えば「私がハウスミュージックをつくった」という文では、「つくった」が述語であり、主語としての「ガ格」付きの「私」、そして対象を表す「ヲ格」を伴う「ハウスミュージック」が項に当たります。(ちなみにハウス/トランス系の音楽制作は、私の趣味の一つです)。「述語項構造解析」は、出来事や状態を表現する述語を中心に、各単語の意味的な役割をとらえていくので、複雑な文章においても重要な情報が明らかになりやすいという特長があり、機械翻訳など広範囲のテキスト処理において精度向上をかなえる要素技術と位置付けられています。

研究者としてどこにやりがいや喜びを感じるかは各自各様かと思いますが、私はNLPコンペティションで多くの精鋭たちと切磋琢磨し合えたこと、またその研究成果を国際会議などの場で発表することで自分の研究が広く認知され、さらに自分の作品が論文という形で世の中に残るという点が研究の醍醐味だと感じていますし、今でも研究を進める原動力となっています。NLPコンペ参加を通じて技術を磨き上げられたこと、また博士前期課程の研究成果も活かすことができたことで、無事博士号を取得することができました。

日進月歩のNLPが社会で生かされていない。
アカデミアから実装の最前線へ、可能性を具現していく。

2010年春、NAIST松本研究室におられた乾さん(編注:乾健太郎准教授。現在、東北大学言語AI研究センター教授、アラブ首長国連邦MBZUAI Visiting Professor)が東北大学に移られたのを機に、私も乾研究室で後進の指導に当たりつつ、研究に取り組むこととなりました。乾さんには研究者としてあるべき姿を多く学ばせていだきました。今でも心に刻まれているのは「迷ったらデータをみなさい」という言葉です。“何が起こっているのか”“どうしてこうなるのか”は、データの中に潜んでいるというわけです。私も研究/開発プロジェクトを先導する立場にある今、根本に立ち返る勇気と大切さをメンバーたちと共有しています。

2010年代、マシンパワーの増大、ニューラル・ネットワークの進化、またビッグデータの活用などによってNLPは躍進を遂げます。しかし、活気づく研究フィールドに比して、社会での活用は大きく後れを取っていました。「もっとできることがあるのに」という歯がゆさを感じていた私は、社会実装の最前線に身を投じる決意をします。アカデミアから民間企業へ。それにはマインドセットの転換、視座の変換が求められました。

大学での研究は、未踏の領域に挑む営為であり、これまでになかった原理や技術を見出し、学術的課題を解決に導いていく取り組みです。一方、企業での研究・開発は、世の中やお客さまのニーズに照準を合わせる必要があります。現在、所属している会社(パークシャ・テクノロジー)は、私が入社した7年前は社員30名弱程度でしたが、現在は関連会社を含めて約500名という規模まで成長しました。その間、スピード感を感じながらさまざまな案件に携わってきたことで、会社の成長を肌で感じる経験ができたのは本当に貴重でした。現在、社内では主に研究開発活動を牽引する役割を担っていますが、事業会社であるため特に社会実装・価値創出の側面をシビアに求められます。事業ニーズや最先端の技術動向を把握・読み解くこと、また研究テーマ提案、目標の設定、ロードマップづくりと進捗管理、そして個性豊かなメンバーを束ねるマネジメント能力も求められます。そのようなダイナミズムあふれる環境で、とてもやりがいを感じながら日々業務に従事しています。

修士課程2年の時、アメリカ留学したことは前述しました。そこではさまざまな異文化との出会いがありましたが、キャンパスで食べた「カレー」は、それまで私が知っていたものと全くの別物でした。この味は何だろう、と持ち前の探究心に火が付きました。帰国後は、独学でスパイスを買い求め、カレー研究家の教室に通い、現地調査(?)のために本場インドやネパールを行脚……。研究室や職場でも折に触れて振る舞っていますが、ポジティブに評価していただけるのはとても嬉しいです。いずれリタイアしたら、カレー屋を始めることになるかもしれません。経験に投資をする、やってみたいことに忠実に、そして「自分らしく生き抜く」が、私の人生の指針です。

(2024年6月 インタビュー)

略歴

奈良先端科学技術大学院大学博士後期課程修了後、東北大学大学院情報科学研究科助教。その間、主に自然言語処理、特に言語の意味解析技術・推論技術の研究に従事。大手電機メーカーにてAI関連技術のプロジェクトリーダーを務めた後、PKSHA Technology参画。現職では、多様な事業領域の顧客課題を解決するソリューション開発や対話エンジン高度化のための研究開発に従事。言語処理学会第20回年次大会 優秀賞(共著)受賞。